毎日新聞特集〜薬物と酒に依存し48回入退院42歳、自分取り戻す支援の側へ

20歳から10年間で48回、精神科病院への入退院を繰り返した。

刑務所にも入った。

原因は薬物とアルコールへの依存だ。

自らを「施設太郎」だったと振り返った男性は今、当事者を支援する仕事に就く。

薬物と酒を断って約9年。

今年度から通信制の高校に通い、介護福祉士の資格試験を受験した。

「自分で自分のことが信じられなかった。それがつらかった」。

「どん底」を経験した人間が変わろうとしていた。

昨年10月29日、市民団体が大阪市内で開いたセミナー。

「少年事件の裁判員裁判」がテーマだった。

講師の弁護士が「裁判員は非行の背景にどこまで踏み込めるのか」について、具体的な事例を交えながら解説した。そこで熱心に聞いていた男性が渡辺洋次郎さん(42)だった。

「自分もアルコールなどによる非行体験があるので関心があった」と話す彼に興味を持ち、取材を申し込んだ。インタビューは数回にわたり、毎回が長時間となった。

 渡辺さんは大阪市内に生まれた。

小さい頃から勉強が苦手だった。それには理由があった。

「例えば、先生から時間割を渡されても、それがどういう意味かが分からなかった。

普通なら月曜には国語があると書かれていたら、国語の教科書を持って行く。

しかし、私はこの紙(時間割)が何を意味しているのかを理解できなかった。

だからランドセルは空っぽか全部の教科書を詰め込むようなことをしていた」

 「今ならその紙は明日の授業のことが書いてあって、忘れ物をしないためのものであることが理解できる。当時は物事を関連づけて考えることができなかった」。

必然的に忘れ物ばかりするようになり、先生から頻繁に怒られる。

「私にすれば、理由が分からないまま叱られている感じだった。

しょげていて疑問を口に出すこともできず、勉強がどんどん遅れていった」

 30年以上前の話。現在なら発達障害が疑われるような状態だったが、何らかの対策が取られることもなく、小学校の低学年から授業についていけなくなる。

テストの時、先生から「問題が分からないなら絵でも描いていたらいい」と言われ、腹が立つより「得した」と思っていた。

 勉強の遅れもあり、クラスメートからからかわれるようになる。

それでも相手にされている方が楽しかった。

普段は目立たない自分がどんなことであれ、友人が関心を持ってくれる。それがうれしかった。

ただ、このことが薬物や未成年でアルコールに手を染める要因になっていく。

 初めて薬物に手を出したのは中学時代。

地元の不良らがたまる場所で、最初は無理やりシンナーを吸わされた。

しかし、そのうち、自分から吸うように。

仲間と原付きバイクを盗んだりするなど犯罪を繰り返し、16歳までに4回の鑑別所入所と、16歳の終わりから1年間、少年院に入った。

 「悪さをして警察に捕まった時、『頭が悪い』とばかにしていた周りの人間から『すごい』といわれ、得意になっていた。

自分の存在価値がそこにあるように感じていた」。

一方で深刻な出来事が起きた。家族との死別だった。

少年院に入る直前、末期のがんだった父親が亡くなった。

関係者の配慮で死をみとることができたにもかかわらず、その場に行かず、仲間と薬物にふけってしまう。

薬物依存状態だった。「父親より薬物を選んだ自分」。

周囲に責められ、自身も許せず、結局、さらに薬物に逃げる。

 アルコールはシンナーがない時、手にしたのが最初だった。

中学を卒業したかどうかの頃、ウイスキーをストレートでコップに3杯飲み、急性アルコール中毒で病院に搬送された。

本格的に飲むようになったのは、ホストの仕事を始めた18歳からだった。

 「毎日、ブランデーを1本から1本半も飲むような生活だった。仕事として飲むだけではなく、勝手に隠れて飲んだりしていた。それで職場を何度もくびになった」。

連日、浴びるように酒を飲み、自傷行為をするようにもなった。

だが、暴走している自分を止めることができない。「このままいくと、俺はどうなってしまうのか」。

恐怖を感じて取った行動が自ら警察へ通報することだった。

 アルコール依存症なのは明白だった。ここから精神科病院での治療が始まる。

母親の記録では、20歳から30歳までに複数の病院で合計48回の入退院を経験する。

任意の入院は10回程度で、残りはほとんどが法律に基づき、治療が必要と判断された医療保護入院で、強制的な措置入院も3回あった。

それでも薬物とアルコールとの関係を絶てず、窃盗などの罪を犯し、30歳から3年間、刑務所で服役した。

 出所後、今度こそ、立ち直りたいと思い、以前から交流があった、依存症の当事者のグループホームなどを運営する団体に行く。

しかし、そこで自分のいいかげんな態度をとがめられ、反発から思わず酒を飲んでしまう。

その時、はっとした。「人に腹を立てて、飲みたくもない酒を飲む自分は絶対におかしい。これがまさに『病気』なんだ」。

初めて冷静に自身を見つめることができた瞬間だった。

「飲まずに生きたい」ほかの人も

 「飲まないで生きたい」。心の底から思った。

それまではいやいやながら行っていた、独自の回復プログラムで断酒を支援している自助グループが各地で開いていたミーティングに積極的に顔を出すようになった。

回数は1日に3回は当たり前で、多い日には4回も行くことがあった。

最後にアルコールを口にしたのは2009年3月ごろ。

それから現在までもちろん、薬物にも手を出していない。

 薬物やアルコールの依存症で苦しむ人は少なくない。

必要な対策は多いはずだ。自分だけの問題としてではなく何かできないか。

関係者の協力を得て、アメリカの大学での取り組みなどを視察した。

その活動報告は昨年11月、大阪市内で開催された第24回関西アルコール関連問題学会大阪大会でポスター発表した。

 一度は関係が断絶した団体とも徐々に信頼関係を取り戻し、昨年12月から職員として採用され、グループホームの運営などの仕事を始めた。

 今年度から通信制の高校に入学。

今年1月に介護福祉士の資格試験を受け、今月には合否が分かる。

将来的には精神保健福祉士や社会福祉士の資格取得も考え、幅広く福祉の現場で働く夢を持つ。

 今も自助グループのミーティングに2日に1回程度は参加する。

当事者同士だからこそ分かり合えることがある。等身大になれる場所は必要だと感じる。

「何度も何度も人を裏切り失敗を重ねてきた。しかし、最もつらいのは自分自身がそんな自分を信じられなくなることだった」。

依存症から自分を取り戻す。その道をこれからも歩いていく。