28th NADA Conferenceレポート①

NADA U.S.Aカンファレンス参加までの経緯〜デラウェアが呼んだ奇跡

NADA(National Acupuncture Detoxification Association)は、1974年、アメリカニューヨークのサウスブロンクスのリンカーンリカバリセンターにおいて、Michael Smith博士とスタッフ達によって、薬物中毒の患者に対し、鍼治療を試みたのがきっかけで始まりました。

彼らは試行錯誤を繰り返し、薬物中毒の治療のための基本的な5つのイヤーポイントNADAプロトコル5NPを、10年間という長い時間を費やし開発しました。

この写真は、当時、Michael Smith博士が実際にヘロイン中毒患者に耳鍼をしているところです。

1985年にニューヨーク州で法人化し、その4年後の1989年から始まったカンファレンスは今年で28回目を迎え、アメリカ各州はじめ、イギリス、ドイツ、カナダ、ノルウェー、フィリピン、デンマーク、他、世界10各国以上のNADAメンバーがパネリストやリスナーとして参加しました。

昨年9月に発足したNADA JAPANは今回が初めての参加となりました。

NADA JAPANからの参加は、代表理事の私上原と、NADA U.SのトレーナーでNADA JAPAN顧問の中野佐智子先生です。

NADA JAPANの法人化に伴い、昨年来よりNADA U.S.Aへの訪問の計画をしていましたが、NADA U.S.Aと私(上原)と中野先生との都合が揃わず、延び延びの計画となっていたのが、このカンファレンスでようやく実現した、という経緯です。

2017年1月頃、カンファレンスのお話が来て、最初に思ったことは

「Delawareってどこ?」でした(笑)

海外なんて、ここ5~6年はさっぱり行っていないし、アメリカはニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルぐらいしか知らない私にとって

「デラウェア??ぶどう?」からのスタートでした。このあたりのお話は②で詳しくさせていただきます。

日本からの参加が今回初めて、ということもあり、NADA U.S.Aの方々には本当に歓迎していただけました。

何よりも、NADAを創設したMichael Smith先生とお目にかかれたことは奇跡のような出来事でした。

体調を崩されている、というお話は耳にしていましたが、正直ここまでとは思っていませんでしたので、車椅子の先生のお姿を見たときはショックでした。会話は出来ませんでしたが、先生と握手をして「日本から来ましたよ」とお声をかけさせていただくと少し嬉しそうに、しっかりと目を見て頷いておられました。

Smith先生が築かれたNADA。

NADA Spiritを守り、育み、必要としている場所へ届ける。

NADA JAPANの目指す世界を改めて心に刻む旅となりました。

そう言った意味でも今回のカンファレンスの参加はとても意義あるものとなりました。

これが奇跡の一枚。

きっときっと、私の一生の宝物になります。

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